ラカンにその理論的出発点を与えたのは、劇場で女優Zにナイフで切りかかり、防ごうとした女優の手に重傷を負わせた、一人のパラノイア女性である。
自我とは、反転した構造のうちにある鏡像であるという。主体は自分を自らの像と混同し、自分の似姿との関係の中で、写しによって同時に想像的にだましとられてしまう。