要するに対象aとは、ラカン派哲学者・ジジェクの言い回しを借りるなら、それ自体は空っぽなのに、あるいは空っぽであるがゆえに、そこに僕たちのいろんな幻想を投影することができるスクリーンみたいなものだ。
報われない、トラウマ的環境にある主人公が、同じく報われない他者を自己犠牲によって救済することで、最終的に自分も救われる。象徴界を介して演じられる「救済」の反復が、それこそ反復によって色あせてしまわないのは、僕たち(あるいは僕個人)が、いつでも自分のことを「努力が報われない不遇な主体」としてイメージすることができるからかもしれない。
– 『生き延びるためのラカン』